それは寂しいというのは事実
言いたくはないけど寂しいでしょう。
独りで、話す相手もなく、食事をして、帰って寝る。
若いときなら慰めはいくらでもあった。趣味だの音楽だのラジオだの。
でも歳をとって色んなことがわかってきてしまうと、本質的なことが欲しいと思う。
そういう人とのつながりを求める、当然のことです。
私もそう。
山に登って独りで自分の達成感なんてたいしたものではありません。
誰かと共有できるその瞬間こそが宝なのはよく知っている。
だから寂しいと思う、それが一番のことです。
でも、惨めさや後悔、ひたすら人恋しさの寂しさというのは違うと思う。
そういう寂しさってちよっと悲しすぎます。
悔やんで思い出して泣いて、そうして孤独に誰も発見されないで亡くなったりするなんてそんなばあいなのかも知れません。
私はそういう死は迎えたくない。
なんだかあまりに絶望的でちよっと引く。
どうしていつまでも後ろを振り返り後悔しながら、そして意味もなく他人の手を捜しながら独りでいってしまうのか。
その手の先にどんな手を捜していたのか。きっとなかった。
ないものは手に入りようもないはず。
それが悲しい。